リーダー意識という甘言。アジャイルへの警鐘

最近、仕事場で憤ったので書きます。


部下がリーダー意識をもって自身の作業を効率よく進めてもらえば、

上司や指示をする立場の者にとってこれほどうれしいことはないですよね。

 

だが、そうはならなかったんだよ。悲しいことにね。

 

上司に与えられているミッションて業務の遂行ですよね。

それがうまくいかない場合は、問題解決をしますよね。当然。

でも、昨今て特に僕の知っている限りではソフトウェア業界。

特にWeb業界。特にソーシャルサービス業界。

 

この業界って、変化や要求の頻度がユーザを相手にしているもんだからめまぐるしく変わる。

変わる。変わる。

追い打ちをかけるようにリスケジュールの嵐。

 

ただし、最小限の力で、最大限の成果を出すということは、経営者、社員や関係者では、

共通認識のため、実は実際に必要な時間的なコストはそれほど変わってないわけです。

少なくとも僕の経験では。

なにがいいたいかと言うと、変化に合わせて舵を切っていくことが非常に重要になるわけです。

 

では、なんで皆はやく帰れないかと言うと、↑で言っている舵とりがうまくいってないから

なのですよ。

 

今ってアジャイルって流行っているじゃないですか。

僕が思うに、アジャイルって受注型の方法をそのままゲーム制作に取り入れていた

弊害を解決する素晴らしい方法なのではなく、

「成果物を優先する」

このことに主眼を置いたものだと思うのですね。

で、

「俗人的な部分は否定していない。むしろもっと加速させる」のですよ。

詳しくはなんか本とか読めばいいと思う。

 

「みんなプロなんだから、個人のスケジューリング、タスク管理くらい自分でやる」

みたいな

 

だからと言って、上司や指示者の作業者のタスク管理ってすっぽ抜けてはいけない

のですよ。

 

現実的に、自身のタスク管理ってそれなりにハードルが高いから、

チームに入りたてや、若年社員、そもそもそれが残念な社員てぶっちゃ無理ですわ。

  

 管理者はこれに正面から取り組まなきゃいけないんですよ。

 

人の管理て大変で、調整て大変。さらに「できていない」ことに対する責任て負いたくない。

できれば作業者が負っているということにしたい。

 

それって、”管理”という責務を放棄しているにすぎない。

 

 

一人ひとりがリーダー意識()

という言葉に警鐘を鳴らしたい。

以上でございます。